私はみんなを愛している……【映画ピングドラム感想】
ピングドラムの感想だけどONE PIECEとか文ストの話してます。(?)
輪るピングドラムとは私が学生の頃にやっていたアニメである。
ピンドラは私の価値観にかなり影響を与えていて、その価値観を剥き出しのまま日常生活に持ち込んで「は?」みたいになることもある。
なんかそんなんもあって高倉三兄妹をはじめ、キャラやセリフにめちゃくちゃ思い入れがある。
その結末にもそれぞれの選んだ運命にも…。
後編を見る前に慌ててレンタルで前編を見たんだけど、久しぶりにピングドラムに触れたらか、感情〜!になってしまった。
君たちは10年間忘れられない存在だったよ……と。
水族館で買ったペンギンのぬいぐるみに「高倉晶馬」って名前つけたり(怖い……)、3月20日はカレーを食べたりしてた。
なのでそういう積年の思い入れもあり感情が揺さぶられたりしたのだが、それだけではなく。
この歳で物語を見てみるとやっぱり冠葉たちって子供なんだよね。高校生でも。
むしろゆりさん達の感覚に近くなってくる。
自分の「大人」としての考えの変化を自覚したのもあるし、この10年間、オタクなのでやはり別の作品にも色々触れてきた。
そこでまた別の物語を、キャラクターを覗き見て、さらに自分の中で考えたこと感じたことなどがわりと蓄積されている。
まったく違う作品で感じてきたことが点と点のようにつながって自分の考えになったり、自分とは別の考えとして頭の中に置いておいたりとか。
文豪ストレイドッグスという漫画で「人は誰かに生きていいって言われなきゃ生きていけないんだ」というセリフがあります。
文ストも最初に読んだのは数年前とかだったから多分初めて読んだ時はそれほどピンときてなかったように思う。
そんな、「生きていい」って誰かに許可のように言葉をもらわなきゃそんなダメなん?みたいな。野暮〜!
最近これが結構身に染みてきたんだけど、その頃の私の「そんなダメなん?」に対する回答はもちろん、「ダメだろ!!!」ですね。
そりゃ誰かがまるっきり「お前生きていいよ!」なんて言葉をくれることはそうそうない。
だけど所謂愛されて育った子供とは、生まれた時からずっとこの「生きてていい」に準ずるなにかをもらってきた子なんだと思う。
テストを褒められたとか、何かを買ってもらったとか、悪いことして怒られたとか、そういうもの。
自分がいなくなったら悲しんでくれる誰か、自分が傷ついたら守ってくれる誰か、自分が幸せだと喜んでくれる誰か。
そういうのがあって自分の「生きる意味」は存在しえるんだと思う。
最近ONE PIECEを読んでいるんだけど、ロビンとかサンジとかローの過去やその他もろもろを読んでいると本当にそう思う。
必要とされず、ましてやお前が生きてるせいで…とまで言われた子供はとても生きていけない。
本当にまっさらな状態で生まれてきたんだから、誰にも愛されず、誰にも生き方を教えてもらえず、自分のためだけに生きるなんて不可能。
世界を知らないんだから、親にいらないって言われたらそれまでだよな!
そして裏を返せば、親に教えられたことがその世界の全てになってしまう可能性もある。
こんな感じに、自分の重ねた年齢と考えてきたことを振り返って今ピングドラムをみると、「愛してる」という言葉の重要性が改めてわかる。
結構感情移入しがちマンで、「この子の立場になったらなんて悲しいことだろう」と想像して無限に泣いたりする。
そうしていろんな作品のキャラの気持ちに同調してみると、たしかに「孤独」というものがある。
だって、どれだけ相手を見つめていても、その人の心の中も、その人の見えてる景色も絶対にわからないから。
どれだけ優れた人間でも自分以外の人間にはなれないし、自分以外の意識は持てない。
どれだけ周りに人がいても、自分がどんな人間か誰もわからない。信じてくれない。
そういう人の心にどうすれば寄り添える?この画面の中の子達に……と泣く。
レイジュさんがサンジくんに言った「いつか良い人に会えるから」とか、桃果が多蕗に言った「あなたを必要としてくれる人のところへ」とかね、辛い立場からしたらそんなにいるわけないし、気休めじゃん。と思っちゃうのよね。
それがわかってるというか、実際桃果がそうだったからゆりさんも多蕗も「私を心から愛してくれる人なんていない。桃果しかいなかった」と考えているんだと思う。
でも未来なんて誰にもわからない。運命のその先とかもわからん。
今がすごく苦しくて、その苦しい道がもう少しで終わるのかまだ続いているのかわからん。
愛してくれる人なんて誰もいないって思って生きてて、実際この先にその人がいるのかいないのかマジでわからん。
画面の中の子らは、結果的にみんな自分を愛してくれる人、必要としてくれる人に出会うんだよね。それが物語になる。
ゆりさんと多蕗の「自分たちは欠けた子供だった、それはみんなも同じ。だけど愛してると一度でも言われた子達はいつか幸せを見つけることができる。私たちはそれをするためにこの世界に残ったのかもしれない」というセリフはまさにそれ。
そして大人と呼べる年齢になった今だから思う、それは大人にもできることだと……。
大人って簡単に子供の運命を翻弄できちゃう存在なんだということをかなりひしひしと感じるのよ。生きてても、漫画を読んでても…
絶対的存在という立場から子供を傷つけるのも、体格や力や権力などをもって子供を守るのもできちゃうのよ……
だから私がこの歳でピングドラムを見て思うのは、「愛している」と言いたい。ということですね……
昔見た時とはなんかまた、見てる時の立ち位置が違う気がする。
すげーえらそうな大人。って感じだけどやはり人間の子らなんてみんな愛されて笑顔で過ごせ。という感じなので……
なんかそんな感じで思ってたらラストのあのシーンで……
私はピングドラムにでてくるみんなを愛しているんだけど、みんなも私たちのことを愛しているみたい。キャ〜
ピングドラムは本当に「輪る愛の話」だったけど、その愛を画面の外へも輪してくれる映画だった。
それは本当ありがとう、愛してくれてなんだよ……………
だからテレビアニメ版以上に、未来と可能性に期待してくれる優しい作品だと思った。
きっと何者にもなれる、という言葉に特に。
私は普段から「ピングドラム好きなの?苦手なんだよなぁああいうよくわからんやつ〜」と言われると「愛の話だよ!なんでわかんないかな〜」と引用して思ってます。
答えは昔から変わらず、愛なんだよな。